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(確か鬼神尊面を祀っている神殿だったかと思う)、それと知らずバシャッバシャツと何度かフラッシュをたいてシャッターを切ったのである。周囲の誰かから咎められた時は頭をゴツンと叩かれた時のような鈍痛を覚えた。確か当時、プロのカメラマンが祭りのハイライトの主体を包囲してしまい住民見物者がその後方で指をしゃぶって見ている姿に、こういう気の毒なことをしてはならないものだと自戒していたはずである。汝、おまえもか、であった。
芸能の始源の場には今日の私たちのような見物人はいなく、まれびと(客人)とあるじだけの宴があったのみと説いた折口信夫(注?)が言うところの招かれざる客の悲哀の一端を私も味わったということなのだろう。

●追儺における打擲と尻叩き●

次にいくつか訪れ神の悪さを具体的にみてみたいと思うが、まず人々を叩きまわる事例を紹介する。最初に憶い出されるのが静岡県磐田郡水窪町の西浦の田楽の中の山家早乙女の次第である。田植昼食時の昼飯持ちの一行の中にいる子守り役の暴れ様である。この者登場してくるなり管束の棒を振りまわしてさかんに見物人の頭を叩きまわるのである。暗がりの中ちょっと座れたところでそれが行われていたのでなぜそうするのかわけが解せなかったが、資料によると、母親役一子守りに子供を背負わせている女性で、(田主家の妻女オナリ、あるいは五日女とも目される)に対し、この子守りは、着物の一つも新調してくれなければ、いつも稗飯のようなものばかり喰わせる、あるいは皆中の子供のマラが巨きすぎて小便ばかりたらす等々不平不満をぶちまけているのだという。つまり、子供の母と子守り役との間の人間関係の不仲をこの暴れぶりの原因なりと、合理的に解釈しているのだが、果してそんなふうな単純な所為だったかどうか。背負っている人形(子供)のことをここではネンネンボーシと呼んでいるが、他ではヨナボウなどと稲穂に関わりあるような名で呼称されたり、また概してこの種人形の男根部分を異常に巨大化して作っている例が多い。性的繁殖力の強さを求める、感染呪術の発想がここにも表現されているのかもしれない。この暴れぶりはそういうことと関わっているのかもしれない。

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西浦の田楽の山家早乙女の子守り
打擲とは悪いものを棒か何かで叩いて懲らしめることである。鬼相のもの(悪鬼)が具体的に登場してムチ打ちの刑を受ける如くに追い出される例は、一見ありそうで、実際の芸能においては意外と例が少ない。他方、目に見えない悪霊を退散させる趣旨の所為は結権あちこちにあるようである。こういう発想を体現している端的な例が追儺であろう。二月の節分で“鬼は外、福は内!”と豆を打ちつけられ、逃げまわる鬼(地獄の鬼みたいに形象されることが多い)はその一番解りやすい例であろう。天台系寺院の修正会において、吉禅侮過などの法要の後、結願の諸次第の中で鬼追い(悪鬼追送)が行われる例の多いことは各地からの報告で知られている。例えば有明海に面した佐賀県藤津郡太良町竹崎の観世音寺修正会鬼祭の免責めの次第を見物したことがある。
鬼を納めであるという箱を必死に守ろうとする鬼副という役(四名)を、裸の(フンドシ一つの)若者が真冬の野外(境内)でさかんに追いまわす。確か、昔この追いまわされる鬼役として生きた人間を袋につめそれに縄を付けて引きまわし、子供たちが竹枝で打ち叩いたということがあった由(往?)。これと同趣意の話は、博多の住吉宮にあったという鬼繋ぎ石

 

 

 

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